被爆者阿部静子は語る 表紙

『被爆者阿部静子は語る
―悲しみに苦しみに 
生きていてよかった』

2025(令和7)年8月

著 者:阿部静子
「ヒロシマ通信」研究会

発行所:「ヒロシマ通信」研究会

この本は、今日に続く被爆者運動の礎をつくった数少ない健在者である、阿部静子さんが自らの半生や運動の歩みを語ったもの。2025年2月22日に満98歳となった。
1945年8月6日、広島市の第6次建物疎開作業に国民義勇隊として動員され、米軍が投じた原爆に爆心地から東南約1.5㌔で遭い一命を取り留めたが、顔や右半身に消えない傷を負った。復員した夫や義母と生家があった安芸郡奥海田村(現在の海田町)で暮らし、米軍主導の占領統治が開けた1952年、いばらの道を強いられていた被爆者の集まりに通い、そして1956年、原爆被害者による初の「国会請願」から広島県原爆被害者団体協議会、続く日本原水爆被害者団体協議会の結成大会に参加した。彼女がつくった詩「悲しみに苦しみに」は歌曲となり、日本被団協の結成会場となった長崎国際文化会館でも歌われた。

東西冷戦下の1964年には、米国出身で広島在住のクエーカー教徒が提唱した「広島・長崎世界平和巡礼団」の一員となり、自らの体験や思いを全米各地で伝え、欧州やソ連も回った。さらに広島市が設けた広島平和文センターが委嘱する「被爆体験証言者」として、修学旅行生のみならず各国元首や軍縮担当者に核兵器の廃絶、戦争のない世界を訴えてきた。 人間の頭上で原爆がさく裂した「ヒロシマ史」をまさに生き抜いてきたといえる。
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