原爆手記活用についての提言

2016年4月公開

 『広島原爆戦災誌』改定・増補版の作成

1.改定・増補版作成の意義

「原爆白書」の作成が提案されてから半世紀、この間、原爆被災実態解明の試みはさまざまな形で行われてきた。『広島原爆戦災誌(全5巻)』(広島市編・刊、1971年)は、いわば広島市によりまとめられた原爆白書である。

山田節男広島市長は、『同誌 第一巻』の「序」で、同誌を「原子爆弾の炸裂にともなう惨禍を、多くの被爆体験者の証言や各種の調査資料など、つぶさに集大成」したものと評価し、「二十数万に及ぶ犠牲者の冥福を祈ると共に、平和を祈念する永遠の献花とする」と結んでいる。(資料1 『広島原爆戦災誌(全5巻)』の引用手記一覧)
しかし、原爆手記の出版が活発になるのは、『広島原爆戦災誌』刊行後のことである。また、その収集・整理・公開作業は、広島平和記念資料館、原爆被災資料広島研究会、広島大学原爆放射能医学研究所原爆被災学術資料センター、国立広島原爆死没者追悼祈念館などにより精力的におこなわれるようになった。

これらを活用した『広島原爆戦災誌』改定・増補版の作成を提案する。 幸いなことに、広島平和記念資料館の平和データベースで、『広島原爆戦災誌』の本文がPDFファイルで公開され、ダウンロードが可能である。『広島原爆戦災誌』に取りあげられている地域・各機関・団体ごとに、新たな情報をまとめ、広島市がこれらにリンクを張れば、とりあえずの改定・増補版ができあがるのである。

具体例として広島女学院を挙げれば、手順はつぎのようになる。

<増補・改訂作業に役立つ情報>

広島平和記念資料館平和データベース
キーワード「広島女学院」=動画 10件、本(単行本) 99件、本(雑誌) 25件、音楽・音声 1件、被爆資料 183件、写真 2件、原爆の絵 4件

国立広島原爆死没者追悼祈念館の収蔵資料検索装置による検索結果(2015年7月7日)

キーワード「広島女学院高等学校」=体験記 361件、死亡者情報 113件、証言映像 11件
キーワード「広島女学院専門学校」=体験記 122件、死亡者情報  16件、証言映像  1件

<リンク先>

『広島原爆戦災誌 第四巻』(広島市、1971年)<第二編 各説 第三章第3節 各中学校 第24項 広島女学院高等女学校、第4節 専門学校・高等学校・大学 第 1項 広島女学院専門学校>

2.改定・増補版の新構成

『広島原爆戦災誌』の構成は、つぎのとおりである。

 

『広島原爆戦災誌(全5巻)』の構成

 

編・説・章

発行月日

第1巻

第1編総説

第1章 第二次世界大戦下の広島市

第2章 原子爆弾の惨禍

第3章 救護活動

第4章 被爆直後の広島

86

第2巻

第2編各説

第1章 広島市内各地区の被爆状況

96

第3巻

第2編各説

第2章広島市内主要官公庁・事業所の被爆状況

106

第4巻

第2編各説

第3章広島市内各学校の被爆状況

第4章広島市内主要神社・寺院・教会の被爆状況

第5章関連市町村の状況

116

第5巻

資料編

128

 『広島原爆戦災誌』以後に出版された原爆手記の活用により、内容の充実がみこまれるのは、総説第3章(救護活動)と各説第1~4章の部分である。この部分の増補・改訂作業に役立つ手記出版情報を加える枠組みとして、第1章(「広島市内各地区の被爆状況」)に他の章を組み込み、「資料2 広島市内各地区」を作成した。

   今後、手記出版情報のみでなく、下記のような原爆慰霊式典の開催状況や被爆建造物情報を該当地区に加えることにより、増補・改訂作業により役立つものとなるであろう。

○『被爆70年広島市内原爆慰霊式典一覧』(主管課:健康福祉局原爆被害対策部調査課、201611日)

○『ヒロシマの被爆建造物は語る-被爆50周年 未来の記録』(被爆建造物調査研究会編、広島平和記念資料館刊、19963月)

 

広島県内の市町村では、1985年(被爆40年)および1995年(被爆年)を中心に多数の手記集が出版されている。その中には、『広島原爆戦災誌』の第5章(「関連市町村」)に取り上げられていない多くの市町村が存在する。また、第5章の構成は、出版当時の県内市町村の枠組みでまとめられており、増補・改訂作業に役立つ手記出版情報を加えるためには適当ではない。そこで、被爆当時の市町村の枠組み(『広島県戦災史』所収「資料一 戦時期市町村別人口の推移」を参照)を新たな枠組みとしてを作成した。「資料3 広島県内市町村」は、この新たな枠組みに手記出版情報と原爆被爆者組織の結成情報を加えたものである。

  2002年8月3日、「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」が設置した「原爆の絵」陶板碑の第一号の除幕式が広島市内で行なわれた。このニュースに接した時、思いついたのが、原爆手記の記述にある被爆状況や救護状況を、地域ごとにまとめることであった。「原爆の絵を街角に返す」ことは、設置場所や設置費用などの問題をクリアすることが必要であり、一設置場所ごとに取り上げる絵の数が限られる。原爆手記に関しては、そうした制約は存在しない。さらに、地域を確定できるすべての「原爆の絵」の情報を「資料2 広島市内各地区」・「資料3 広島県内市町村」に加えることができる。

 なお、その他の章(総説第1・2・4章)および第5巻は、改定・増補作業の対象外とする。前者は概論であること、後者は、『広島原爆戦災誌』刊行後、膨大な資料が発掘・公開されており、独自のとりまとめが必要と考えるからである。

 

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